■日本の科挙

古来から日本は中国から多くのものを学び、そして中国から多くのものを取り入れてきました。よく知られる遣隋使や遣唐使と呼ばれる、現代風に言えば日本から中国への国費留学生が日本の中国からの文化輸入の担い手でした。当時この地域では圧倒的な先進国だった中国が、あらゆる面で日本にとってのお手本でした。この時代以前のものを含め、中国から日本に伝えられ、そうして現在にも伝わるものは枚挙にいとまがありません。
科挙は中国で誕生した官吏登用試験です。現在で言えばさしずめ公務員採用試験でしょうか。古代中国でこの科挙に合格した者は、統治機構によって登用され、それは同時に栄達と富と権力とを約束されたも同然でした。中国では隋の時代に成立した科挙制度は、20世紀初頭の清の時代1905年に廃止されるまで千年以上も続きました。この科挙は良くも悪くも中国の歴史に大きな影響を与えていると言えます。
この科挙、実は日本にも伝わっています。日本では平安時代に科挙が導入されました。ですが日本ではこの科挙が日本の歴史に大きな影響を及ぼした、という話を聞きません。というのも当時の日本の科挙には蔭位の制と呼ばれる例外規定が設けられており、それによって高位の貴族の子弟には自動的に官位が与えられていました。従って科挙の受験者の大半は下級貴族であり、たとえ科挙に合格してもその合格者は中級貴族に進める程度に過ぎませんでした。平安時代の日本は大貴族と呼ばれる上級貴族層が政治、経済共に絶大な影響力を誇っていました。科挙の合格者がその牙城を突き崩すことは無く、平安時代の政治構造には殆ど何も影響はありませんでした。従って当時の日本の科挙が社会制度や統治機構に劇的な変化をもたらすことはなく、当時の貴族政治を突き崩すまでには至りませんでした。その後、平安時代の律令制の崩壊とともに日本の科挙制度も廃れていき、その後は官職の世襲制化が進んでいき、一部の門閥だけが統治システム、官僚機構を独占することになります。この傾向は基本的に江戸時代まで続きます。科挙が日本の歴史に及ぼした影響はごくわずかでした。ここが科挙の発祥、中国との大きな違いでした。

大政奉還によって徳川幕府の政権が倒れ、明治の時代になってから明治政府では、科挙形式の官僚登用制度を導入しました。1894年に始まった高等文官試験は中国の科挙を参考にして作られた制度だと言われています。この高等文官試験が現代の国家公務員採用試験に受け継がれています。

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