■科挙の話2

そもそも中国で科挙が導入されたその背景には、為政者の側から言わせれば家柄に関わらず在野の優秀な人材を集めたいと言う思惑にありました。言い換えればそうした背景があるがために、家柄とは関係が無く、ただ学識のみが登用するか否かの判定基準でした。
こうして学識のみを合否の基準とする科挙ではありましたが、実際のところ受験者が本気で科挙に及第することを狙うには条件があったのも事実です。それは受験者が幼い頃より生活に追われることなく学問のみに専念できる環境にあること、学問を続ける為に高名な学者の下で学べること、そして試験内容に関連する書物を購入して学習できることなどがありました。これらの条件があってこそはじめて科挙に挑むことができたのです。言うまでも無くこれには莫大な費用がかかり、従って家柄も相応の家でなければこれらのことは不可能でした。家柄に関係なく、広く人材を登用することが理想であったにも関わらず、事実上は決まった家からしか科挙合格者を生まなくなっていました。その結果、科挙及第者は大半が富裕階級に限られ、結局支配階級たる士大夫を再生産するシステムとしての意味合いも強く持つようになっていきました。但し、それまで中国で権勢を誇ってきた貴族の家族が長くその繫栄を維持していたのに比べ、科挙によって台頭した士大夫は長い家族でも繫栄したのが4~5代と過去の貴族階級と比べて短く、従ってそうした士大夫の家では、家の後継者が科挙に及第できなければ将来没落する可能性を抱えていました。それ故科挙にはそれなりに競争原理が働いていたと言うことができます。
さてここからは科挙に関する興味深い話をしていきましょう。上記のような事情もあって、科挙は非常に高い倍率を誇っていました。ところで皆さんは、科挙の競争率がどのくらいのものだったかご存知ですか。科挙の競争率は時代によって異なりますが、約3000倍にも上ったと言われています。現在日本は不景気が続き、民間企業への就職難が叫ばれる一方で、公務員試験の受験者が増えています。狭き門と言われる公務員試験ですが、科挙のこの数字を前にしたら公務員試験の門はまだとても広い、と言わざるを得ません。また科挙の最終合格者の平均年齢も、時代によって異なりますが、約36歳と言われています。従って当時の受験者は科挙に何度も挑戦したものです。それで合格できた者は幸運で、結局亡くなるまで合格を果たせなかった者もたくさんいます。
またこのように及第者数に対して科挙の受験者数が増大したという背景もあってか、現在の試験にも見られるようなカンニングも横行しました。全体にびっしりと詩文の書かれた下着など、科挙のカンニンググッズと呼べるものも現在に残されています。また科挙の盛行は、その裏では現在でいう受験戦争の過熱、そして試験偏重主義による弊害も生みました。科挙の試験科目に詩作や作文があり、それが重視されていたため知識偏重主義に偏り、その結果科挙を経て誕生した官僚たちは経済や軍事、外交等の実務や国民生活に無知、無関心である事が露呈されていきました。こういった風潮の蔓延が政権の腐敗、国家の衰退、そして外国勢力の進出の拡大を招いたことは否定できないでしょう。科挙の持つ数々の弊害が声高に叫ばれるようになった清末の1905年、千年以上にわたった科挙の歴史に終止符が打たれました。

こうして科挙は歴史の一部となりました。ですが科挙の歴史は現在の私たちに対し、現代社会の教育や受験制度に関して、大きな啓蒙と教訓を与えてくれていると思います。

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